休憩室でまさかの光景、あれ、ここどこだっけ?
オフィスというものは、実に不思議な場所です。仕事をする場、というのは建前で、実際には人間模様が渦巻き、それぞれの思惑が交差する、ある種の劇場のようなもの。私なんかは、もう長年この手の劇場を徘徊しているのですが、先日、久々に度肝を抜かれる一幕を目の当たりにしました。
昼下がりの休憩室。いつもと変わらない、むしろ「いつも」という概念が凝固したかのようなその空間に、突如として、ええ、まさに「異物」が出現したのです。カップ麺をすすりながらスポーツ新聞を読むベテラン社員の隣で、一心不乱にスマホをいじる若手社員の斜め向かい。そこに座っていたのは、顔面を真っ白なシートで覆った女性。そうです、通称「顔パックOL」と呼ばれる彼女だったのです。
「顔パックOL」とは?
ここで定義しておきましょう。「顔パックOL」とは、オフィスや職場などの公共の場で、休憩時間中にフェイスマスク(顔パック)を使用する女性会社員を指します。一般的には自宅で行う美容行為を、あえて人前で行うその行為は、周囲に軽い衝撃や疑問、あるいは動揺を与えることがあります。今回の彼女も、まさにその典型でした。一体、彼女は何を考えているのか。なぜ、よりによって休憩室で、あのパックを剥がすこともなく、ただそこに座っていたのか。その衝撃の理由を、皆さんにもご紹介しようと思います。
パックの向こう側、まさかの心理戦
休憩室で繰り広げられる「顔パック劇場」。その主役である女性、仮に「小林さん」と呼ぶことにしましょう。彼女の出現は、まるで無重力空間に突然岩石が漂着したかのような違和感を醸し出していました。周りの社員たちは、ちらりと視線を送る者もいれば、全く意に介さないフリをして、自身のランチやスマホに没頭する者もいます。しかし、私の目はもう、小林さんの顔に吸い寄せられて離れません。だってそうでしょう? 休憩室でパックですよ。自宅のバスルームでやることリストの最上位にランクインするであろうあの行為を、まさかオフィスで。これはもう、謎が謎を呼ぶサスペンスです。
不可解な行動の背景を探る私
私はこの手の「謎」には目がないタチでして、その日も、カップ麺の麺がのびるのも構わず、小林さんの動向を観察していました。パックは肌に潤いを与えるもの、のはず。しかし、彼女の顔に貼られたパックからは、むしろ周囲の空気を乾燥させるような、ピリッとした緊張感が漂っているように見えました。一体、何が彼女をそこまで駆り立てるのか。
私の頭の中では、様々な仮説が乱立していました。
「A. 時間がない説」:朝は出勤準備に追われ、夜は疲れてバタンキュー。唯一、集中してパックができるのが休憩時間しかない、という究極の時短術か。
「B. 究極の自己投資説」:肌は資本。ランチを削ってでも、いや、ランチをしながらでも美を追求する、ストイックなプロ意識の表れか。
「C. 何らかの罰ゲーム説」:社内の人間関係の闇から生まれた、秘密の掟。もしや、彼女は何かやらかしたのか?
「D. 自宅で出来ない説」:実家暮らしで、親がリビングにいると恥ずかしいとか、同棲中で彼氏にすっぴんを見られたくないとか、はたまた子供にパックを剥がされるとか。まぁ、これは自宅環境の問題ですが。
どれも一理あるようで、いや、どれもオフィスでパックを貼る理由としては決定打に欠ける。もっとこう、斜め上をいく、あるいは地下深くを掘り進んだような、そんな理由が隠されているに違いない、と私は確信していました。そして、私は意を決して、まだパックが貼りついたままの小林さんに声をかけてみたのです。「あの、もしよかったら、少しお話聞かせてもらえませんか?」
小林さんの告白、そして私を襲った衝撃
私の問いかけに、小林さんはパックの隙間から、どこか諦めたような、それでいて少し面白がるような目で私を見つめました。そして、おもむろにパックを剥がし、しっとりとした肌を露わにしながら、ポツリと語り始めたのです。
「ああ、やっぱり気になりますよね、これ。みんなコソコソ見てるの、知ってますから。」
まるで全てお見通し、と言わんばかりの口調。この時点で私の仮説AからDは全て「チーン」と鐘が鳴り響き、ご破算となりました。彼女は、私の想像をはるかに超える答えを持っていたのです。
「実は私、家では全然リラックスできないタイプなんです。」
ほう、出ました、意外な告白。自宅でリラックスできない、となると、職場が唯一の安らぎの場、という逆転現象が起きているのでしょうか。しかし、休憩室でパックは、どう考えてもリラックスとは真逆の行為に思えますが。私の疑問顔を察したのか、小林さんはさらに続けます。
「家に帰ると、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃって、常に頭の中がタスクリストでいっぱいになるんです。夕飯の支度、洗濯、翌日の準備、子どもの宿題チェック、夫の愚痴…もう、休む暇なんてなくて。」
なるほど。家族との生活の中で、自分の時間を見つけるのが難しいという話はよく聞きます。しかし、それがなぜ休憩室での顔パックに繋がるのか、まだ核心が見えません。
「でも、ここ、休憩室は違うんです。誰かが私に話しかけてきても、『今、パック中なんで』って言えば、それ以上踏み込まれない。むしろ、ちょっとした”結界”というか、”無言のバリア”になるんです。」
「え…結界?」
私は思わず聞き返しました。彼女が休憩室で顔パックをしていた、その「驚きの理由」とは、周囲からの介入を遮断し、自分だけの精神的な空間を作り出すための「結界」だったというのです。もちろん、肌の保湿も兼ねているのでしょうが、本質はそこじゃない。人とのコミュニケーションを一時的にシャットアウトするための、物理的な壁、それが顔パック。
「このパックを貼っている間だけは、誰にも気兼ねなく、ただボーッとできる。スマホを見るでもなく、本を読むでもなく、本当に『無』になれるんです。家では無理。仕事中でも、そうはいかない。だから、この休憩室の15分間が、私にとって一番の『休息時間』なんです。」
衝撃でした。てっきり美容目的か、時短目的かと思っていた私の予想は、見事に裏切られた形です。オフィスという場所が、誰かにとっては「精神的な避難所」になり得るとは。しかも、その避難所を物理的に可視化し、防御するために「顔パック」という手段を選んだ小林さん。その発想力には、ただただ感服するばかりです。
同時に、そこまでしないと「無」になれない現代社会の疲弊っぷりにも、一抹の寂しさを覚えました。休憩室という開かれた空間で、あえて「閉じこもる」ためのアイテムとして顔パックを運用する。もはや、それは美容アイテムというより、現代人の心の防具と言えるのかもしれません。
「結界」が示す現代人のSOS
小林さんの告白は、私の胸に深く、そして静かに響きました。顔パックが、ただの美容アイテムではなく、現代社会を生き抜くための「精神的な結界」として機能していたなんて。これには、一本取られたというか、いや、正直言って、私のオフィスライフに対する認識が根底から覆されたような感覚です。
私たちは常に、誰かの視線や期待、あるいは無言の圧力を感じながら生きています。特にオフィスという場所は、個人の空間が極めて曖昧になりがちです。隣の席の人の咳払い、向かいの席の人の貧乏ゆすり、上司の機嫌、後輩の進捗。否応なく飛び込んでくる情報と、それに対する自分の反応。そんな中で「無」になること、つまり、あらゆるインプットとアウトプットを一時的に遮断する時間は、本当に貴重なものなのでしょう。
「無」になれる場所の重要性
小林さんのように、自宅でさえリラックスできない人がいる。仕事中も、当然ながら集中を強いられる。そんな中で、休憩室での15分間に、あえて「顔パック」という物理的な障壁を設けることで、他者の介入を拒み、自分だけの世界を構築する。これはもはや、高度なサバイバル術と言っても過言ではありません。
考えてみれば、私たちは皆、多かれ少なかれ、自分だけの「無」になれる時間を求めているのではないでしょうか。それは、通勤電車の中でイヤホンをして音楽に没頭する時間かもしれないし、トイレの個室でスマホをいじる数分間かもしれない。あるいは、カフェでただ窓の外を眺める時間かもしれません。場所は違えど、その根底にあるのは「ちょっとだけ、誰にも邪魔されずに、自分と向き合いたい(あるいは向き合いたくない)」という、純粋な欲求です。
小林さんの「顔パック結界」は、その欲求を視覚的に、そして非常に効果的に具現化したものだったわけです。周りから見れば「ん?」と二度見する光景ですが、本人にとっては、まさに命綱。このエピソードを聞いてから、私は休憩室で顔パックをしている人を見ても、安易に「ずいぶん大胆だな」などとは思わなくなりました。むしろ、「ああ、彼女も自分だけの結界を張っているんだな」と、敬意すら覚えるようになりました。
自分だけの「顔パック」を見つける
私たちは、小林さんのエピソードから、現代社会における「心の防衛術」のヒントを得たように思います。情報過多、人間関係の複雑さ、常に求められるパフォーマンス。そんな喧騒の中で、自分自身を守り、心を整えるための時間は、何よりも大切です。
解決策は、意外とシンプルです。小林さんが「顔パック」を選んだように、あなた自身も、あなたにとっての「結界」や「無」になれるアイテム、あるいは時間を見つけることです。
それは、物理的なものかもしれませんし、精神的な習慣かもしれません。例えば、特定の音楽を聴く、瞑想アプリを使う、特定の場所に短時間だけ身を置く、誰にも邪魔されないルーティンを持つ、など。形はなんでも構いません。重要なのは、「自分だけがコントロールできる、外部からの刺激を遮断する時間や空間」を意識的に確保することです。
締めくくりの言葉
私たちが日々を過ごす中で、ちょっとした違和感や「なぜ?」と思う光景に出会うことがあります。しかし、その一つ一つに、もしかしたら小林さんの顔パックのように、驚くべき背景や、現代社会を映し出す真実が隠されているのかもしれません。
皆さんも、もし休憩室で顔パックOLに出会ったら、彼女の肌の潤いだけでなく、そのパックの向こう側にある「彼女だけの結界」に、ちょっとだけ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。そして、ぜひ自分自身の「顔パック」も探してみてください。きっと、日々の暮らしが、少しだけ楽になるはずですから。
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