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リモート会議中に「推し」への愛が爆発!画面オフを忘れた私が、なぜか部長に褒められたワケ【ほっこりする話】

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リモート会議の闇、それとも光?

いやはや、世の中すっかりリモートワークが浸透しまして。おかげさまで、同僚の背景に写り込む洗濯物の山だとか、突然乱入してくるお子さんの雄叫びだとか、オフィスでは絶対に味わえなかった人間模様が繰り広げられるようになりました。これはこれで、人間の生態観察としては非常に興味深い。私も例外なく、その生態系の一部として日々過ごしているわけですが、ある日、とんでもない失態を犯してしまいましてね。

画面オフという油断

リモート会議中に「画面オフ」というのは、ある種の魔法のようなものです。カメラを切った途端、人は途端に自由になる。その場でヨガを始めようが、猫と追いかけっこしようが、基本的には誰も知り得ない。私もその恩恵を授かっていた一人でして、特に重要な発言がないときは、大抵、画面の向こうで好き勝手やっていたんです。ええ、まさしくその油断が、今回の事件の発端だったわけです。

「推し」とは何か?(社会現象を紐解く)

さて、今回の話の核となるのが「推し」という存在です。もしかしたら「え、何それ美味しいの?」と思っている方もいるかもしれませんので、ここで一度、この社会現象とも呼べる概念について説明しておきましょう。「推し」というのはですね、平たく言えば「あなたが全霊をかけて応援している対象」のこと。アイドルでも、漫画のキャラクターでも、Vtuberでも、果ては地方のゆるキャラでも構いません。その存在があるだけで心が躍り、日々の活力となり、時には財布の紐を緩めまくり、人生に彩りを与えてくれる、もう一種の信仰対象のようなものです。私にとっての「推し」も、まさにそういう存在だったわけです。

奇妙なリモートの生態系と、私の秘められた日常

「推し」という存在が、日々の生活に潤いと活力を与えてくれるのは、もはや科学的にも証明されつつある(たぶん)わけですが、リモートワークはその「推し活」に新たな局面をもたらしました。オフィスにいると、せいぜいスマホの画面をこそこそ見るくらいが関の山。しかし、自宅という聖域に籠もり、PCの前に座れば、そこはもう自分だけの王国です。会議中であっても、画面オフという「透明マント」を羽織れば、多少の自由は許される、そう信じて疑いませんでした。

画面オフ、それは「推し」との密会

ええ、正直に告白しますと、私はリモート会議中に「推し活」をしていた常習犯です。もちろん、重要な議題のときは真面目に聞きますよ。聞きますけど、特に発言を求められない、ただ聞いているだけの会議なんかでは、もう完全に自分モード。例えば、会議が始まってすぐさま「ビデオオフ」のボタンをカチリ。これで、私という人間は、会議室の片隅の気配程度の存在になるわけです。

その「気配」と化した私は、何をやっていたかというと、まずPCのサブモニターで「推し」が出演している過去のバラエティ番組を字幕付きで再生。音が聞こえないようにボリュームは最小限にして、口の動きだけで状況を把握するという高度なスキルを磨いていました。字幕が追いつかないときは、勘です。あとは、SNSで「推し」の最新情報をチェックしたり、届いたばかりのグッズを愛でたり、時には「推し」の顔写真が入ったマグカップでコーヒーを啜ったり。これ、完全に会議を舐めてるって言われるでしょうけど、私にとっては至って真面目な「推し」への敬意の表れだったんですよ。だって、どんな時でも「推し」をそばに感じていたいじゃないですか。そういう気持ち、分かります? まあ、分からない人は分からないでしょうけど。

そんなある日、いつものように、いや、いつにも増して集中力に欠ける会議が開催されたんです。議題は、はっきり言ってどうでもいい報告会。参加者も各自、適当に聞き流しているのが容易に想像できる、そんな緩い空気でした。私は、その日の午前に届いたばかりの「推し」の新しい写真集を、それはもう大事に大事に眺めていたわけです。ページをめくるたびに「はあ…尊い…」と心の声が漏れそうになるのを必死で堪えながら、ニヤニヤする顔はマスクで隠しつつ、ただただ写真集の世界に没入していました。もちろん、画面はオフ。完璧なガード体制だと思っていました。ええ、思っていたんですよ、その時までは。

惨劇の瞬間、そして謎の褒め言葉

事件は、その写真集をめくり終え、興奮冷めやらぬまま、PC画面に目を戻した瞬間に起こりました。画面中央には、なぜか自分の顔がデカデカと映っている。そして、その顔は、先ほどまで「推し」の写真集を熱心に愛でていた、まさにそのニヤニヤ顔。しかも、右腕には、お気に入りの「推し」の公式ぬいぐるみがしっかりと抱きかかえられている。そう、私は完全に、画面オフにするのを忘れていたのです。

ああ、頭が真っ白になるというのは、まさにこのことかと。瞬間的に会議室の全員が私の画面に注目しているのが分かりました。いや、分かりたくなかったんですけどね。あの時の、ほんの一瞬の静寂と、次に聞こえてきた数人の「え?」という声は、今でも耳に残っています。私は慌ててぬいぐるみを隠し、顔のニヤつきを真顔に戻し、そして何より、ビデオオフボタンを死に物狂いでクリックしました。

そこからの会議は、もう全く内容が頭に入ってきません。ただひたすら、「誰か見た?」「どこまで見られた?」「あのニヤニヤ顔とぬいぐるみ、完璧にアウトだろ…」という思考が渦巻いていました。当然、会議後には誰かしらから突っ込みが入るものと覚悟していましたし、最悪、部長に呼び出されて「勤務態度について」と説教されることも覚悟していました。

ところが、会議が終わって、チャットで「お疲れ様でした」のメッセージが飛び交う中、部長からの個人的なメッセージが届いたんです。「〇〇さん、お疲れ様。いや〜、集中力すごいね。ああいう真剣な表情、素晴らしいよ。」……ん?いやいやいや。部長、何を仰いますか。集中力?真剣な表情?あの時の私は、完全に「推し」への愛が爆発して、理性というものが蒸発した状態だったんですよ?それが「真剣な表情」に見えたとしたら、部長の目に一体何が映っていたのか。まさか、あのぬいぐるみを抱きしめた私のニヤニヤ顔が、仕事への情熱の表れだとでも思ったのでしょうか。謎は深まるばかりです。

他人の事例:まさかの「推し」コラボプレゼン(佐々木さんの場合・仮名)

私の話は、結果的に「なぜか褒められた」という摩訶不思議な結末を迎えたわけですが、中にはそう簡単に終わらないケースもあるようです。以前、取材で聞いた話なんですけどね。営業部の佐々木さん(仮名)という方がいまして、彼は生粋の「ロボットアニメ」ファン。特に、ある人気ロボットアニメの主人公機が大のお気に入りだそうで。

ある日、社内向けの大きなプレゼンがあったんですよ。佐々木さんはその資料作成と発表担当。かなり気合が入っていたようで、自宅の書斎でプレゼンに臨んでいました。ところが、プレゼンの途中、カメラがズレてしまい、彼の背後に飾られていた、等身大に近いサイズの「推し」のロボットアニメのポスターが、画面にチラリ、と映り込んでしまったらしいんです。

しかも、そのポスター、主人公機がまるで佐々木さんの肩越しに、力強く前に向かって拳を突き上げているような構図だったとかで。プレゼン中、佐々木さんが熱弁を振るうたびに、後ろのロボットが「行け!」「やれ!」と、まるで魂を吹き込まれたかのように応援しているように見えた、と後で同僚に言われたそうです。

本人は全く気づいていなかったのですが、会議後、チャットが「佐々木さん、プレゼン中、ずっと最強の援軍いましたね!」「ロボットがめちゃくちゃ鼓舞してて最高でした!」と大盛り上がり。結果的に、彼のプレゼンは内容もさることながら、その「背景のロボット」のインパクトがあまりに強烈で、参加者の記憶に深く刻まれてしまったわけです。佐々木さんは恥ずかしさで顔が真っ赤になったそうですが、そのおかげで社内に同じロボットアニメのファンがいることが判明し、思わぬところで「推し活」仲間が増えた、なんて話を聞きました。いやはや、リモート会議も捨てたもんじゃないですね。思わぬ出会いの場になることもあるわけですから。

部長の真意と、リモートの思わぬ効用

さて、私の失態がなぜか「集中力」と「真剣さ」として評価された件。正直、今でも狐につままれたような気分ではあります。でも、これってひょっとしたら、リモートワークという特殊な環境だからこそ起こり得た、ある種の現象なのではないか、と思うんです。

褒められた謎に迫る

なぜ部長は私を褒めたのか。まさか、部長自身も隠れ「推し」持ちで、私のニヤニヤ顔から同志の匂いを嗅ぎ取った、なんてことはないでしょう。いや、もしそうだったら、それはそれで最高ですけど。

私が思うに、あの時の私の顔は、確かに「真剣」ではあったんです。「推し」の存在を前にして、人は究極の集中状態に入りますから。周りの音も、時間の流れも、会議の議題も、一切がどうでもよくなる。ただひたすら、「推し」という存在に全神経を集中させていたわけです。その、ある種の「ゾーン」に入った状態が、部長の目には「仕事への尋常ならざる集中力」として映ったのかもしれません。

考えてみれば、オフィスで働いていると、人は常に「仕事モードの自分」を演じるものです。多少、気を抜いた表情を見せようものなら、「おい、もっと集中しろ」とでも言われかねません。しかし、リモートワークでは、その「演じる」という行為が、少しばかり緩む。公私の境界が曖昧になるからこそ、普段は隠している人間の本質、つまり「私」という個人が持っている情熱や集中力が、うっかり漏れ出してしまうことがある。そして、その「漏れ出し」が、皮肉にも相手にポジティブな印象を与えることがある、というのが今回の教訓ではないかと。佐々木さんのロボットも、彼の「推し」への情熱が背景のポスターという形で漏れ出した結果、プレゼンに良いスパイスを与えたわけですし。

リモート時代の「私らしさ」との向き合い方

リモートワークが普及して、私たちの仕事環境は劇的に変わりました。以前なら想像もできなかったような、突拍子もないアクシデントが日常茶飯事です。しかし、その一方で、私たちは「会社員としての自分」だけではない、「一人の人間としての自分」を、知らず知らずのうちに周りに見せているのかもしれません。

「推し」への愛が爆発した私の顔。佐々木さんの背後にそびえ立つ巨大ロボット。これらは、単なるハプニングではなく、私たちが日々の生活の中で大切にしているもの、情熱を傾けているものが、意図せずとも顔を出してしまった瞬間です。そして、それが結果的に、相手に「ああ、この人、こんな一面もあるんだな」という人間味や、時には「熱い人だ」というポジティブな印象を与えることがある。

もちろん、会議中に真剣に仕事をするのが大前提です。画面オフを忘れるなど、言語道断。反省しています。猛省しています。しかし、完璧な人間なんていませんし、完璧を装い続けるのも疲れるものです。リモートワークは、もしかしたら、私たちに「ちょっとくらいは人間らしさを滲ませてもいいんじゃない?」と、こっそり教えてくれているのかもしれません。

まとめ:隠しきれない情熱が、あなたを輝かせる?

今回の私の「やらかし」体験から導き出されるのは、結局のところ、どんな状況であれ、人が本当に情熱を傾けているものというのは、隠しきれない、ということ。そして、その隠しきれない情熱が、時に思いもよらない形で、あなたの魅力を際立たせる可能性がある、ということです。リモート会議で画面オフを忘れてしまっても、あなたの「推し」への愛が画面越しに伝わり、それがあなたの人間味として評価される、なんてこともある。そんな、ちょっと愉快で、ちょっと温かい、リモート時代の新しい人間関係のヒントが、今回の事件には隠されていたのかもしれません。ただ、くれぐれも、ビデオオフボタンの押し忘れにはご注意を。私みたいに、ぬいぐるみを抱きしめたニヤニヤ顔を全世界に晒すことになりかねませんから。ええ、もう二度と忘れませんとも。

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