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上司が言った「ジジロック」とは?誰にも言えない、あの聞き間違いの真相【笑える話】

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通勤電車の奇妙なメロディ、それは一体?

毎朝、私は決まった時間に決まった路線に乗る。だいたい同じ車両で、だいたい同じような人たちがスマホを見たり、眠っていたり、人間観察をしていたりする。私もその一人だ。特に何かするわけでもなく、ただ車窓を眺めているふりをして、人間の挙動をぼんやりと眺める。あれは、そんなある日の出来事だった。隣の席に座っていた、おそらく私と同年代くらいのOLさん。彼女はスマホに向かって熱心に何かを打ち込んでいる。そのうち、誰かに電話をかけ始めたのだが、その会話の内容がどうにも私の脳にノイズとして響いてくるのだ。いや、ノイズというより、むしろBGMだったのかもしれない。それは、誰がどう聞いても、ひたすら「カレーパン」という単語の連呼だったのだから。

まさかの「聞き間違い」とは

そもそも「聞き間違い」とは、その名の通り、相手が発した言葉や音を、本人が意図したものとは異なる言葉や音として認識してしまう現象を指す。これは音響的な要因や、個人の聴覚、注意力の問題、あるいは文化や経験に基づく予測など、さまざまな要素が絡み合って起こる。私たちが日常で「空耳アワー」と笑い飛ばすようなものから、ビジネスの場で致命的な誤解を生むようなものまで、そのバリエーションは多岐にわたる。で、この時私が体験したのは、間違いなく前者だった。だが、私にとっては、そのOLさんの「カレーパン」連呼が、まるで現代アートのような、いや、むしろ前衛的な演劇のように感じられたのだ。そして、誰もそのカオスな状況にツッコミを入れられない、ある種の「沈黙の了解」がそこには漂っていた。

誰もが一度は遭遇する、脳内BGMの暴走

あの通勤電車の「カレーパン」事件以来、私の脳内には「聞き間違いセンサー」なるものが搭載されてしまったようだ。電車に乗れば隣の人の会話が、カフェに居れば店員さんのオーダーが、妙に気になってしまう。一体、今聞こえてきた言葉は本当にそう言っていたのか? 私の耳が、脳が、勝手に脚色してはいないか? そんな疑心暗鬼の毎日である。

人間というのは面白いもので、一度そういったフィルターがかかると、今まで気にも留めなかった些細な音が、全く別の意味を持つ音として聞こえてきたりする。それはまるで、脳が勝手に、聞こえてきた音に最も近いと思われる、しかし全く違う意味の言葉を当てはめてしまう、一種の自動変換機能みたいなものかもしれない。しかも厄介なことに、その自動変換は、本人が気づかない限り、周囲には伝わらない。つまり、その人だけが、自分だけのユニークな世界で、一人コメディを演じているような状態なのだ。私はそんな「一人コメディ」を、これまでどれだけ見過ごしてきたのだろうか、とふと空恐ろしくなる時がある。

「ジジロック」? 私だけの通勤ドラマ

先日、そんな「聞き間違い」の面白さについて話を聞かせてもらった。登場するのは、都内で働く会社員の結衣さん(仮名)だ。彼女は、結婚してまだ一年ほどの新婚さんで、社内では明るくテキパキと仕事をこなす、周囲からも慕われる存在だという。

ある日のこと、結衣さんがデスクで作業をしていると、近くの席に座る先輩と上司が会話をしているのが聞こえてきた。どうやら、先日行われた会議の件について話しているようだ。「この前の会議の件だけど、例の『〇〇』、上がってきた?」上司が先輩に問いかける。先輩は「あ、はい、今朝方データが届きまして、これから確認します!」と答えている。

結衣さんは、特に気にも留めずに自分の作業を続けていたのだが、その上司の問いかけの言葉が、どうにも頭に引っかかった。上司は確かにこう言ったのだ。「例の『ジジロック』、上がってきた?」と。

結衣さんの脳裏には「ジジロック」という言葉が響き渡った。ジジロック? おじいちゃんがロック? いや、おじいちゃんがロックバンドを組んでいるのか? それとも、何か古くて硬いものがロックされている状態のことだろうか? 意味が全く分からない。しかし、先輩は「はい、今朝方データが届きまして」と、いかにも分かっているかのような顔で返答している。ということは、この「ジジロック」というのは、社内で使われる専門用語か、業界用語なのかもしれない。

結衣さんは混乱した。新婚一年目の彼女は、まだ会社での経験も浅く、分からない言葉は山ほどある。しかし、「ジジロック」という言葉は、さすがに聞いたことがない。もしこれが重要なキーワードだったらどうしよう? 周りの人は当然のように「ジジロック」を理解している様子だ。今ここで「あの、すみません、『ジジロック』って何ですか?」と聞くのは、なんだか恥ずかしい。自分の無知を晒すようで、ちょっとためらわれる。それに、もしかしたら本当に「おじいちゃんのロック」みたいな、どうでもいい話だったら、変に首を突っ込んで気まずくなるだけかもしれない。

結局、結衣さんはその日一日、誰にも「ジジロック」の真意を尋ねることができなかった。彼女の脳内では、「ジジロック」という謎のワードがBGMのように流れ続け、時折、おじいちゃんがエレキギターをかき鳴らしているような、そんなシュールな光景まで浮かんでしまったそうだ。

そして、その日の夜。自宅で夕食の準備をしながら、今日あった出来事を夫に話した。「今日ね、会社で上司が『ジジロック』がどうとかって話してて、私だけ意味分からなくてさ。結局聞けなかったんだけど、あれって何なんだろうね?」

すると、夫は箸を止めて、ぷっと吹き出した。「は? ジジロック? なにそれ。もしかして、それ『議事録(ぎじろく)』のことじゃないの?」

結衣さんはハッとした。議事録。そうか、議事録! 言われてみれば、確かに「ぎじろく」と「じじろっく」は、発音によっては聞き間違えやすいかもしれない。特に、上司の滑舌が少し甘かったり、周りの雑音があったりすれば、十分あり得る話だ。

その瞬間、結衣さんの頭の中に流れていた「ジジロック」のBGMは、一瞬で「議事録」のテーマ曲に切り替わった。今まで自分が一人で繰り広げていた脳内コメディが、夫の一言であっけなく完結したのだ。そして、その間、誰にも指摘されなかったことへの安堵と、自分だけが全く別の場所をさまよっていたことへの恥ずかしさが同時に押し寄せたという。

この話を聞いた時、私はあの通勤電車のOLさんのことを思い出した。彼女がスマホで誰かに「カレーパン」と連呼していた(ように私には聞こえた)時、もしかしたら彼女の頭の中では、全く別の言葉が響いていたのかもしれない。そして、その周りにいた私も含め、誰もその「一人コメディ」に気づいていなかった、あるいは気づいていても口に出せなかっただけなのかもしれない。

「聞き間違い」というのは、当人にとっては一瞬の困惑であり、後から思えば笑い話になる。しかし、その「困惑の瞬間」に、本人は自分だけの奇妙な世界に閉じ込められ、外界との間に薄い壁ができる。そして、その壁を打ち破るには、外部からの客観的な指摘が必要なのだ。そうでなければ、結衣さんが経験したように、自分だけの「ジジロック」の世界から抜け出せないまま、無駄に悩んだり、変な想像を膨らませたりしてしまう。そう考えると、日常に潜む「聞き間違い」は、結構深淵なテーマをはらんでいる気がするのだ。

「聞けない」が産む、脳内無限ループの悲劇

結衣さんの「ジジロック」の話を聞いて、私は改めて思った。人間の脳というのは、なんて都合よく、そして厄介な機能を持っているんだろう、と。聞こえてきた音を、勝手に自分の知っている言葉に変換し、時には全く意味不明な造語を生み出してしまう。そして、その変換が間違っていたとしても、本人が気づかない限り、その「間違い」は本人の中で真実としてまかり通ってしまう。一種のバグだ。しかも、このバグは、意外なほど多くの人が経験しているらしい。

しかし、さらに厄介なのは、周りの人間がそのバグに気づいても、なかなか指摘できないという、もう一つの社会的なバグだ。あの通勤電車の私のように、「カレーパン」と聞こえていても、まさかそんなことを本当に言っているわけがない、と勝手に忖度してしまう。あるいは、指摘して相手が恥ずかしい思いをしたらどうしよう、とか、場の空気を壊したらどうしよう、といった余計な気遣いが働く。結果、本人だけが、自分だけの脳内劇場で延々と一人芝居を繰り広げ、周囲はそれを傍観するという、なんともシュールな構図が出来上がってしまう。

聞き間違いを、笑い話で終わらせるために

結局のところ、この「聞き間違い」という現象は、誰にとっても他人事ではない。いつ、どこで、自分が、あるいは身近な誰かが、そういった「脳内無限ループ」に陥るか分からないのだ。結衣さんのように、それが「議事録」という、ごく普通のビジネス用語だったと判明すれば、後から笑い話になる。だが、もしそれがもっと深刻な誤解を生む可能性のある言葉だったら? あるいは、誰かの大切な気持ちを全く別の意味で受け取ってしまったら? そう考えると、決して笑い事では済まされない事態に発展する可能性も、ゼロではない。

では、どうすればいいのか。これはもう、シンプルな話だ。もし少しでも「ん?」と思ったら、確認するしかない。相手の言葉が聞き取りにくかったら、もう一度聞く。自分の理解に自信が持てなかったら、確認する。「え、今なんて仰いました?」とか、「すみません、〇〇というのは、具体的にどういう意味ですか?」とか。別に、喧嘩を売っているわけでも、相手の滑舌を指摘しているわけでもない。ただ、正確な情報を共有するための、ごく当たり前のコミュニケーションだ。

もし、あなたが誰かの「カレーパン」や「ジジロック」に遭遇したとしても、同様だ。直接的に「今、カレーパンって言いました?」と切り出すのは、さすがに相手をびっくりさせてしまうかもしれない。だが、もしそれがコミュニケーションの根幹に関わるような場面であれば、やはり何らかの形で確認のボールを投げるべきだろう。それは、お互いの時間を無駄にしないためでもあり、お互いの脳内平和を守るためでもある。

日常のノイズを、愛おしいBGMに変える

通勤電車で見かけたOLさんの「カレーパン」連呼事件も、結衣さんの「ジジロック」事件も、結局は、私たちの日常に潜むちょっとした「ズレ」が引き起こす、ささやかなコメディだ。私たちは日頃から、膨大な情報を受け取り、無意識のうちにそれを解釈し、処理している。その過程で、時にエラーが起きるのは、ある意味で自然なことなのかもしれない。

大切なのは、そのエラーをどう受け止めるか、だ。必要以上に恐れることもないし、かといって放置しすぎるのも考えものだ。ちょっとした聞き間違いが、後から振り返れば笑い話になるような、そんな「愛おしいノイズ」として日常を彩ってくれることもあれば、時には深刻な誤解の種になることもある。

だからこそ、私たちは、聞こえてくる音と、聞こえているはずの音の間に横たわる、その曖昧な領域にもう少し意識を向けてもいいのかもしれない。そして、もし「ん?」と感じたら、素直に「え?」と聞き返す勇気を持つこと。そうすれば、きっと世界は、今よりも少しだけクリアに、そしてもっと面白く見えてくるはずだ。そして、もしかしたら、隣の誰かの脳内劇場に、あなたがゲスト出演できる日が来るかもしれない。それはそれで、なかなかオツな経験ではないだろうか。

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